aiuのブログ

菜園は初心者のため、日記、作業手順、備忘録などを書きたいですねェ

その(2) 無知は、命を縮める。

その(1)の続き


 会社に復帰しても、首に襟巻かわりに、コルセットは2ヶ月ほど
していた。


 仕事がら、パソコンに向かうと首に負担がかかり痛い。
車は大破していたので、通勤にはバス通勤となった。
そろそろ、車もほしい。


通勤が不便でしょうがない。これからは車で遠くに行くことはないと
思うので今回は軽自動車とした。


新しく軽自動車を買った。


そして、車は来た。


・・・・程なくして、


【第2幕の幕開け】


ところは「会社の中での出来事」である。
会社の昼過ぎ、突然、電話が鳴った。


その電話を取ろうとして、右足が滑って
コケてしまう。


起き上がろうとして、右足が動かない。


床は板張りなので、キット、打ちどころが
悪いのだろう?


少し時間が経つと治るだろうと思っていた。
確かに、時間が経つに従って右足は痛くなく
なっていた。
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自分の知識の中には、この骨折は「死と対峙する」
ものとは全く知らなかった。



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17時過ぎ、退社時間となり、椅子から立ち上が
ろうとするが、踏ん張りがきかない。


そこで会社の人から抱きかかえてもらい、近く
の整形外科に送ってもらう。


病院に入ると直にレントゲン検査があり、その結果
「大腿部骨折であるので、すぐに手術が必要」との話
があった。


しかし、ここの病院では手術はできないので
「病院を紹介する」、そこで手術を受けるようにとの
ことだった。


一先ず、家へ帰ることとなった。車いす付きの介護タクシー
で家へ帰った。


 家で問題だったのは、「トイレ」


そこで「トイレ」に一番近い部屋に寝ることとした。
夜中に一度トイレに行きたくなった。


トイレまで這っていき、支えの手すりにつかまり
便座に座るのに時間がかかった。


次の日、紹介された病院へ介護タクシーで朝、1番に行った。
病院では、レントゲンを何枚も撮られ、色々説明があり、結局、


手術は骨折から3日目に決まった。
次の日、手術はたしか、4時間程度かかったと思う。
目が覚めた時には、手術は終わっていた。手術は成功で
「金棒と止めねじで固定している。」と。


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大腿骨骨折は
①タクシーでなく、救急車を使用する。
➁48時間以内のなるだけ早く手術をする。

ことだと知った。


なぜかというと、タクシーでなく、救急車かというと手術
をする病院に行ける。
また、ストレッチーを使用するので骨折した部分に負荷が
かからないから?血栓ができないように?と詳しい理由は分からない。


また、48時間以内とは、少しでも日にちが経つと筋肉が縮んでいく
・・らしい。
 「現に骨折した右足は2cm縮んでいる」と先生から言われた。


しかも、5年生存率は46%程度ということをネットで知ることとなった。
-----今、4年になろうとしている。


病院生活は手術した病院は3週間、転医した病院では1ヶ月半だったと思う。
そして、退院後もリハビリに通った。


退院したら、すぐに仕事に復帰した。


会社へはバスで駅まで行き、駅から会社までの距離は500mを歩く。


ただ、体力がない。
この距離でさえ、2回程休まないと体が痛いし、きつく
仕事場まで辿りつけなかった。



【資格の勉強】
やはり、今回も入院してから、1週間後には資格の勉強を再開した。
何もしないとこれからのことを考え込み落ち込む。



確か、


第3級 海上無線通信士
のために英会話、英文和訳の勉強を始めた。



もしかすると、試験どころではないかもしれない。
しかし、今は気持ちを試験に集中するべきだ。


そして、試験を受けてみたが、散々たる結果だった。
このため、まずは航空級無線通信士を受験しているが
まだ苦労している。


その2 無知は命を縮める 
ありがとうございました。


その3 
何時になるか分かりませんが 書きたいと思います。
PS
大部減らしましたが、まだ、長すぎですね。M(__)M                 aiu

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